不安いっぱいの時代です。
今日は平穏だけれど「これから私、ちゃんと生きていけるのだろうか。」と、漠然とした不安を抱いたり
なんだかいろんなことが「うまくいっていない気がする」そんな日もありますよね。
ネガティブの沼にハマると、どんどん世界そのものが不幸に感じるものですが
今日も生きていられるのは、誰かの支えがあってこそ。
たとえ「今」に最高の幸せを見つけられなくても、少し前に時間を巻き戻してみると
やさしい笑顔や、心温まるやりとりが思い出されて、フッと心が柔らかくなる。
その瞬間、ネガティブの沼からすーーーっと、抜け出すことができます。
連載『人生のタカラゴト』では、
〝こんないいこともあったし、今日からまたがんばろっと〟
そんな、心の息抜きができる時間をお届けできればと思います。
みなさまも是非いっしょに、これまでに遭遇した『タカラゴト』を見つけてみませんか。
おじいちゃんと、銭湯のおばあちゃん達。
久しぶりに、公衆浴場へ行った。
サイズ感はそこまで大きくなく、銭湯以上、旅館未満というかんじ。
広すぎず、ちょっと古い佇まいが、次男を抱っこしながらお風呂に入っている最中に、妙な懐かしさを感じさせる。
そして・・・ギュ〜っと胸が苦しくなり、泣き出してしまった。
その瞬間、幼少期に何度も何度も通った、おじいちゃん家のすぐ隣の銭湯で過ごした時間に、脳内タイムスリップしたのである。
昔ながらの銭湯だ。家族経営だったから、番台にはおばあさんがいて、わたしがくると「いらっしゃ〜い、あれ、夏休みかい?」などと、やさしく話しかけてくれた。
昼間の時間は、いつもと同じおばあちゃん達が来ていて、パーマをかけながら入っていたり(今は禁止だけど、昔は銭湯でパーマとか白髪染めしてるおばちゃんがいた)、サウナと水風呂を何度も行き来していた。
おばあちゃん達の名前は知らないけれど、なんとなく顔見知りで、ニコっと微笑んでくれたりした。
いつも一人で入っていたので、小学生のわたしを、みんななんとなく見守ってくれていた。
あるとき床で滑って転んだら、おばあちゃん達がいっせいに風呂椅子から立ち上がってかけよってきて「大丈夫かい?」と体を起こしてくれた。
おばあちゃん達のほうが、転んだら大変なのに。そんな機敏に動けるんだ・・・という早さで駆けつけてくれた。
そしてお風呂上がりは瓶のコーヒー牛乳を飲んだ。当時のわたしには最高の贅沢品だったので、あの甘ったるい美味しさに浸っていると、番台のおばぁちゃんが「おいしそうに飲むね〜」と嬉しそうに私を見つめていた。
家に帰ると、キレイさっぱりホカホカのわたしを見て、おじいちゃんはとても嬉しそうに笑っていた。
まるで自分のことみたいに、いや、それ以上に幸せそうな顔をしていたと思う。
このやりとりを、数えきれないくらい繰り返した。
愛してくれた人。
やさしく見守ってくれた人。
親切にしてくれた人。
あの温かい時間にまるでタイムスリップしたかのようで、泣き出してしまったのだ。
もう目の前にはいないし、きっともう会うことはないのだけれど、大切なことを教えてくれた人たち。
そんなことを思い出していたら、見知らぬ小学生の兄弟が、風呂桶の取り合いをして喧嘩をはじめた。
近くにお母さんはいないようだ。
こうゆうとき、世間的に考えると「ちゃんと自分の子どもを近くで見ていなさいよ」なのだろう。
それももちろん正論ではあるが、もしかしたらお母さん、毎日一生懸命育児していて、今日は久しぶりにお風呂にきて、ゆっくり髪を洗っているのかもしれない、と思った。
兄弟喧嘩が穏やかになればと、次男に「かっこいいお兄ちゃんたちだね〜」と話しかけながら見つめると、
お兄ちゃんが「何歳なの??2歳くらい??」と話しかけてきてくれた。
そのあとは、なんとなく同じお風呂であれこれ楽しく会話をしていたら
兄弟のお母さんが「あ〜!ここにいたのね〜!すみません・・・騒がしかったですよね・・・」と駆け寄ってきた。
「いえいえ、遊んでもらっていたんです〜」なんてやりとりして、それぞれ別のお風呂に移動。
もう会うことはないかもしれないけれど・・・
自分の子じゃないけれど、自分の子のように見守る。
自分のことじゃないけれど、自分のことのように喜ぶ。
いつもできるわけじゃないけど、できるだけそうしようと思えるのは
おじいちゃんと、おばあちゃん達が銭湯で教えてくれたから。
わたしの人生の大切な『タカラゴト』です。
みなさんもきっと素敵なタカラゴトがあるはずです。
なにもないように思える毎日も、うまくいっていないときも、
わたし達は必ず過去の宝物みたいな時間に、支えられて生きています。
よかったらあなたのタカラゴトをコメント欄で教えてください^^
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
寒暖差が激しくなってきますので、羽織りものをうまく活用して、一週間をお過ごしくださいね。